シンガポール家庭裁判所における治療的司法 Ⅰ

The article “Therapeutic Justice in the Family Justice Courts of Singapore” was published in “Freedom & Justice (Jiyuu to Seigi 自由と正義)”, a nationwide journal issued by the Japan Federation of Bar Associations.* While Japan has non-adversarial options such as consensual divorce and family conciliation, psychological and emotional support for parties remains limited. By contrast, Singapore…


The article “Therapeutic Justice in the Family Justice Courts of Singapore” was published in “Freedom & Justice (Jiyuu to Seigi 自由と正義)”, a nationwide journal issued by the Japan Federation of Bar Associations.*

While Japan has non-adversarial options such as consensual divorce and family conciliation, psychological and emotional support for parties remains limited. By contrast, Singapore integrates mental health professionals into divorce proceedings from an early stage, highlighting the value of interdisciplinary collaboration.

Drawing on the seminar program, this article introduces the framework of therapeutic justice in Singapore, outlines the roles of judges, family law practitioners, and mental health experts, and explores both the potential and challenges of adopting similar approaches in Japanese family law practice.

In March 2024, with the cooperation of Ms. Susan Tay, the co-founder of PracticeForte Pte Ltd, Tokyo International University, Kyoto University, the Osaka Bar Association and the Tokyo Bar Association co-hosted a seminar program entitled “Therapeutic Justice in Family Law: Learning from the Experience of the Singapore Courts.” For this program, District Judge Kevin Ng Choong Yeong, Former District Court Judge and Mediator Ms. Angelina Hing, Mediation Advocate Ms. Susan Tay, and Psychotherapist Ms. Sanaa Lundgren, were invited from Singapore to lecture at the bar association halls in Osaka and Tokyo.


Language: JP | EN
Ⅰ 家族法分野における司法の在り方
Ⅱ 多職種連携における心理専門家の役割

Ⅰ 家族法分野における司法の在り方

高瀬 朋子

大阪弁護士会会員

1 はじめに

 シンガポールでは、2020年から家庭裁判所の役割を見直し、家族法分野における治療的司法(Therapeutic Justice、TJ)が導入された。審理前の調停の実施や心理専門家の関与など、これまでの最終判断者としての裁判所の役割から、司法手続の中で当事者や子どもの負担軽減を図ることに集中し、より良い解決を目指すという改革を実現している。この改革は、家庭裁判所が中心となって、弁護士会や政府機関、大学と連携し、長い年月をかけて少しずつ導入され、離婚事件に特化した治療的司法は2024年3月から実施されている。

 高葛藤な父母の親権や面会交流事案では、司法手続そのものが対立をより大きくし、葛藤の中にいる当事者、特に子どもに与える影響は深刻であり、心理的、身体的、さらには経済的な面で長期にわたる悪影響を及ぼすことも多い。治療的司法は、これまでの司法手続を対立的なものから非対立的なものへと導き、当事者のエンパワーメントや子どもの福祉の向上につなげるものとして注目される。2024年3月、日弁連においても東京国際大学、京都大学、大阪弁護士会(大阪開催分)、東京弁護士会(東京開催分)の共催により、シンガポールから治療的司法に携わる現職裁判官(ケビン・ン・チョン・ヨン氏)、家裁元裁判官・弁護士(アンジェリーナ・ヒン氏)、弁護士(スーザン・テイ氏)、セラピスト(サナ・ランドグレン氏)らを招いて大阪と東京の弁護士会館にて「家族法分野における治療的司法~シンガポール裁判所の経験から学ぶ~」と題する研修が実施された。

 本稿では、シンガポールにおける治療的司法を紹介し、日本の家事事件実務での活用に向けての可能性や課題について展望する。なお、心理専門家の役割やDVを含む当事者が直面する心理的・感情的課題への取組については、前記研修実施に貢献された小田切紀子東京国際大学教授の論稿を参考にされたい。

2 治療的司法とは

(1) 治療的司法とは

 シンガポールにおいて導入された治療的司法とは、ケビン・ン・チョン・ヨン裁判官によると、家庭裁判所が裁判官、心理専門家、カウンセラーといった多職種の専門家チームを活用し、当事者間の対立を避けて協力や協働作業といった非対立的な構造に導き、司法プロセスそのものが家族や子どもを支援することを目指すものとされる。離婚の当事者を敵対的関係に見るのではなく、「子どもと、新しい人生の段階へ移行するために支援を必要とする父親と母親」と認識することで、司法プロセスを家族の問題として管理し、より良い解決策を考える思考方法である。

 シンガポールの法制度は、対立的な性質を持つとされる英米法に基づくものであり、離婚は家庭裁判所を通して離婚原因がある場合に限り認められる。そのような法制度の中で、離婚が当事者、とりわけ子どもに対して与える影響の深刻さから、対立的な性質を持つ司法制度は家族法分野の問題対処に適していないと認識され始め、家族法分野におけるこれまでの司法プロセスを見直そうとする動きが家庭裁判所裁判官の中から始まり、治療的司法へと昇華されていった。その導入の裏には、離婚が子どもに与える影響を細かく調査し、ひいてはそれが社会・国家にとってマイナスとなることを統計的に分析し、司法のトップや行政機関を説得し続け、十分な予算を獲得した上でようやく実現されるに至るまでの家庭裁判所の努力がある。

(2) 治療的司法の仕組み

 治療的司法の手続は柔軟かつ流動的で、各家族に合わせた解決策が提供されている。これは「ワンファミリー・ワンチーム」アプローチと 呼ばれ、多職種の専門家チームのメンバーが初 期段階で選定・配属され、裁判手続全体を通じ て当該家族を支援しているのである。手続の具体的な流れは以下のとおりである。

 家庭裁判所に申し立てられた離婚事件におい て、まず当事者は「共同トリアージチェックリ スト(The Joint Triage Checklist)」を作成す る。このチェックリストは、当事者に離婚の申 立て後すぐに裁判所に提出が求められる質問票 のことで、トリアージとは、元々災害時に多数 の傷病者が発生した場合に、傷病者の重症度等 に応じて適切な処置を行うために治療優先順位 を決めることを意味するが、共同トリアージ チェックリストで提供された情報により、当該 家族が進むべき工程と、必要とされる適切な支 援の方向性が確認され、当該家族に対して司法 プロセスの中で適切なサポートが提供されるよ うになる。

 次に、家庭裁判所は、裁判官と心理専門家で 構 成 さ れ る 治 療 的 司 法 協 力 会 議(The Therapeutic Justice Cooperative Conference) を開催し、裁判官が当事者や代理人弁護士と面 談して当該家族について理解を深めるととも に、様々なリスクに対する安全性の評価を行 い、また、当事者に対して治療的司法の理念を 説明し、主張・反論といった対立的な構造か ら、問題解決に向けての協働作業にかじを切っ ていく。共同トリアージチェックリストと治療 的司法協力会議によりトリアージされた事件 は、次のステップとして調停、審判あるいは心 理専門家のカウンセリングなどに進む。同会議 を担当した裁判官は、調停担当裁判官として引 き続き関与する。

 併せて、TJチーム(多職種の専門家チーム) が当該家族のために割り当てられる。通常、ま ず調停が進められるが、緊急の申立てがある場 合は、TJチームの審判担当裁判官(調停担当裁判官とは異なる裁判官)がその案件を審理して 決定を下す(ただし、当該申立てと異なる争点 について並行して調停で話し合うこともあ る。)。最終的に、調停が不成立となった場合に は、審判担当裁判官が案件を引き継ぎ、審理を 進める。ここで注目したいのは、治療的司法 は、調停やカウンセリングだけでなく、審判・訴訟の場面でも適用されることである。審判担 当 裁 判 官 は、 家 庭 司 法 裁 判 所 法(Family Justice Act 2014)を活用して、根拠のない主 張や子どもの福祉に悪影響を与える書類の提出 を制限したり、反対尋問の範囲や時間を制限す るなどして特定の弱い立場の証人を保護したり して、紛争が過度にエスカレートすることを防 ぎ、それにより子どもの福祉を守るための環境 が整備される。また、審理中でも、精神的・感 情的問題の治療や対処のために社会科学の専門 家を任命したり、婚姻財産分与を支援する財務 の専門家を任命したり、長期的な精神的・経済 的支援のために地域機関を紹介したりすること もできる制度となっている。

 この「ワンファミリー・ワンチーム」アプ ローチは、同じメンバーが最初から最後まで当 該家族につき、各メンバーが異なる役割を果た しながら連携・協力することで、当該家族にカ スタマイズされた問題解決方法に焦点を当てる ことができる。また、調停やカウンセリングの 守秘義務の制限はあるものの、審理担当裁判官 も調停担当裁判官や心理専門家と当該事案につ いて意見交換が可能であり、法的・行政的な問 題が迅速に処理されるだけでなく、心理専門家 の関わりによって感情的又は心理的な問題にも 可能な限り対処できることも同アプローチの利 点である。

3 家庭裁判所裁判官の役割

 家庭裁判所裁判官は、治療的司法の中心的役 割を果たしている。裁判官は、上記のように、積極的に事件全体を管理して司法手続を最小限 にすることで家族の負担を減らし(ケースマ ネージメント)、心理専門家と協力しながら、 調停やカウンセリングを通じて紛争の原因を特 定・対処する。また、審判担当裁判官として は、審判の準備段階で当事者にどのような書類 を提出させるべきか、審判をどのくらい早く行うべきかなどを決定し、子どもと面談するかど うかも検討する。

 家庭裁判所裁判官のスキルアップのために、 治療的司法委員会が、TJベストプラクティス ガイド、行動ガイド、及び治療的会議担当裁判 官による開会声明(Opening Statement)など の内部ガイドラインを策定・発行している。ま た、裁判官は、毎年1週間のトレーニングを受 け、子どもの発達についての知識、子どもの年 齢に適した面会交流に関する裁判所命令の在り 方、子どもとの面談における子どもとの話し方 を学ぶロールプレイ、子どもに直接語りかける セクションを含む判決文の書き方などの実践的 スキルを学び、さらには、定期的に少人数グ ループのセッションにも参加し、ピアラーニン グやサポートを受けながらスキル向上を図って いる。

4 心理専門家の役割

 治療的司法における心理専門家の役割は小田 切教授の論稿に譲り、ここでは裁判外における 心理専門家と弁護士の連携について簡単に触れ る。

 裁判外の手続においても、心理専門家と家族法を扱う弁護士(以下「家族法弁護士」という。) が連携し、離婚を望む当事者の支援が行われて いる。心理専門家は、相談に来た当事者に対 し、自身の権利を調べる必要性を伝えて弁護士 に相談するように促したり、不安の強い当事者 には弁護士との最初の相談時に同行したりするなどし、弁護士は、必要に応じて(例えば、離婚について子どもに伝える方法の検討や、監護 権や交流条件について平和的話合いができるよ うに)心理専門家の支援・協力を求めたり、感 情的に不安定な状態に陥っている依頼者に心理 専門家を紹介したりして、連携して当事者の支 援を行っている。また、家庭裁判所によって任 命された子どもの代理人と心理専門家が協力し てケースに当たることもある。

5 弁護士の役割

 家族法弁護士は、離婚を考える当事者が最初 に接触する法律家であり、治療的司法において は、裁判所と協力しながら、家族が直面する課 題に対して実現可能で安全な解決策を見つける 役割を担う。治療的司法の導入により法律専門職 の職業行動規則(Legal Profession (Professional Conduct) Rules)が改正され、依頼者及び子ど もの福祉を考慮し、裁判手続中に和解を目指す ことを求める具体的な条項が追加され、代理人 弁護士は、勝敗よりも協力的なアプローチで裁 判に臨むことが求められるようになった。その ため、家族法弁護士は、紛争性を高める主張や 態度には裁判所から注意を受ける可能性がある 一方、より強い姿勢を弁護士に求める依頼者と の関係で難しい状況に立つことも生じている。

 家族法弁護士の治療的司法へのモチベーショ ンを上げるため、家庭裁判所は、シンガポール 弁護士会(The Law Society of Singapore)、大 学、その他関連機関と連携し、2日間にわたる TJ特別研修プログラムを導入した。プログラ ムの内容は、治療的司法の概念や手続に関する 講義のほか、社会科学の視点、心理専門家の介 入やADRの可能性を評価するスキル、裁判手 続内外での関係専門職間の協力の重要性、治療 的司法に必要な対人スキル(メンタルヘルスに 関する基本知識や適切な専門家に紹介する能力 の向上、依頼者に対するアクティブリスニング などの効果的な対応や攻撃的な依頼者への対応・緊張状態を鎮める方法)の習得などで、実践的な手法を学ぶことができ、受講を完了する とTJ資格認定家族法弁護士となる。

 2024年8月に、ケビン・ン・チョン・ヨン裁 判官の協力により小田切教授と筆者を含む数名 の会員でシンガポール家庭裁判所を訪問した 際、治療的司法の啓発・浸透に関わり家庭裁判 所と密に連携しているシンガポール弁護士会の 国際委員会担当副委員長らにインタビューをす る機会があった。インタビューにおいて治療的 司法へのモチベーション継続のヒントを聞いた ところ、弁護士会として広報に力を入れている ことはもちろんだが、裁判官も裁判手続の中で 治療的司法を遂行する代理人を依頼者に見える 形で称賛するなどして、代理人弁護士が治療的 司法を目指すことによってメリットを得られる と実感できるように工夫しているとのことで あった。

6 政府機関・大学との連携

 シンガポール社会・家族開発省(Ministry of Social and Family Development、MSF)は、離婚支援専門機関を設置し、離婚の各段階において家族を支援する様々なサービスを提供している。裁判手続前に当事者が受講しなければならない共同養育プログラムのほか、面会交流支援、カウンセリング支援などが用意され、治療的司法とともに離婚問題に焦点を当てて家族を支援している。筆者らは、前記現地訪問の際にMSFも訪れたが、MSF家族支援局局長の「政策立案者は家庭裁判所裁判官の意見を聞くことが大切であり、裁判官は我々(MSF)の意見を聞くことが重要であると考えている。」という発言が印象的であった。

 シ ン ガ ポ ー ル 社 会 科 学 大 学(Singapore University of Social Sciences)は、家族法や刑法の分野で十分な訓練を受けた法律家を育成するために設立された大学であり、家族法のカリキュラムには社会科学的側面の科目が多く含まれている。家庭裁判所裁判官も、定期的に同大学で治療的司法に関する講演やセミナーを開催し、学生たちが将来家族法の実務に携わる際に治療的司法を理解し実践できるように育成している。

 家庭裁判所、MSF、大学は、相互に情報交換を行い、連携して治療的司法の維持・向上に努めている。

7 終わりに

 日本では、元々協議離婚制度があり、家事調停も長い歴史を持つ。その意味では、離婚制度に非対立的な選択肢が既にそろっていると言えなくはない。しかし、人事訴訟はもとより調停においても当事者への心理的・感情的側面への支援はなく、司法プロセスにおける当事者・子どもの心理的負担を軽減し、より良い解決を目指すという治療的司法は参考に値する。とりわけ2026年5月までに共同親権が導入されることが予定されている今、離婚紛争のマネージメントは喫緊の課題であり、日本の家事事件実務の改善に活用できる部分も多い。

 もっとも、多職種の専門家チームの導入や教育プログラムの提供には、十分な人材と財源が必要であり、特に経験豊富な心理専門家の確保は容易ではない。シンガポールで、家庭裁判所裁判官が中心となって政府を巻き込み、十分な予算を得て実施された経緯などは、高く評価されるべきであろう。

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